スローライフ in アストルティア

座右の銘は、安物買いの銭儲け

DQシリーズをちょっと心理学っぽく考える

DQシリーズのキャラの行動理念やバックグラウンドについて、

コンプレックスや心の闇といった観点から、ちょっとだけ考察してみます。

アドラー心理学なんて言ったら、全国のアドレリアンの嘲笑を

買いそうな内容ですが、得た知識をアウトプットしていけば、

より定着させられそうなので。

 

先日、感想文を書いた、「生きるために大切なこと」には、

家庭(特にきょうだい)の影響が大きいということも、書かれていました。

割と断定的でしたが、当てはまらない家庭も自分の周りで見受けられたのと、

時代が違うし、誤解を招きかねない内容なので避けていました。

大雑把に言うと、きょうだいならば、家族の愛が向かない(と感じた)方が、

人格形成に問題や歪みが生じるケースが少なからずあるそうです。

 

創作物のキャラについて、心理学を当てはめるのも

ナンセンスな話ですが、リアルな心理描写を描こうとする以上は、

自ずと影響を受け、無視できない要素ではあるは思います。

 

真っ先に出てくるのが、DQ8マルチェロでしょうか。

正妻の子ではないので事情が特殊ですが、異母弟ククールの誕生が引き金となった。

そして、地方の名士である父親は、

跡取りとして、正妻の子であるククールを選びました。

そして、権力欲に囚われ、(ラプソーンが介入したものの)

数々の凶行を引き起こしました。

最終的に、法王の座を手にし、声高々に演説を行うも、

その直後に、ククールを含む主人公達に討たれることに。

恐らく、背景には、劣等から転じた、優越コンプレックスが

あるのではないかと思います。

 

DQ6のテリーも、幼少期に姉ミレーユを守れなかった経験から、

力を渇望することに。

気付いたら、自分より強大な力を持つ、魔王デュランの配下となっていた。

恐らく、主人公たち(特にミレーユ)が現れなければ、

破滅的な最期を迎えていたかと思います。

一応、遊びを教えてもらったりしているので、

そこそこ親しい関係を築いていたのかもしれませんが、ロクでもない内容です。

DQ10にもゲスト出演している時は、一応、人の役に立ってはいるので、

これはこれでよかった・・・のだろうか?

一見、共同体感覚はなさそうですが、

仲間がいるし、きっと、大丈夫なはず。
嫁(ドランゴ)もいるしね!

 

10で言えば、ドミネウス王が典型的な例ですかね。

弟が人格も才覚も優れていたため、劣等コンプレックスを感じていたのでしょう。

指針書で国民を管理し、破滅の未来を回避することで、英雄になろうとしていた。

作中の行動からも、恐らく、背景にある劣等コンプレックスを

払拭したかったのかと。

どこかのサイトも書いてありましたが、

行動理念は正義感よりも、エゴの方が勝っていたように見受けられます。

しかし、身内からも見限られ、野心で目が曇り、

いつしか、黒幕に利用されていた。

 

クオードが、落ちこぼれの烙印を押された部下を重用している点も、

劣等から転じた、優越コンプレックスの表れと言えるのかもしれません。

彼らの長所が生かされる形となったので、

結果的によかったのかもしれないが。

時見の力の部分では、間違いなく姉メレアーデへの劣等感があったはず。

4.3ストーリーでは、皮肉にも、

毒親と似た非道な行為に手を染めてしまっていた。

クオードの場合は、故郷を救いたいという、純粋な想いによるものだったので、

多少は、報われた形で最期を迎えられたのかと思う。

 

トーマ王子は現実で言えば、かなりよく出来た

稀有なお兄さんなのかもしれませんね。

それ故に、アンルシアが真っすぐな性格になったのかも。

失った喪失感から立ち直る為に、ver2.0の大部分を使っているので、

いかに立ち直ることが大変かってことでしょうか。

主人公に対し、若干、依存の気はあるものの、

破邪の力を手にし、ver5での覚醒を見るに、

コンプレックスではない劣等を昇華させた例なのかなぁと。

 

ver5のストーリーは、あまり詳細に書くのもどうかと思うけど、

魔界の面々は出自からして、劣等コンプレックスを含む歪みを感じられます。

3魔王が良くも悪くも、人間に近い心理構造だから、

話がトントン拍子で進んだのは、皮肉なところか。

(メタ的なことを言うと、尺の問題もあるのだろうが)

某大物にも、コンプレックスが背景にあるように

感じられるセリフがあります。

 

ギルガラン兄弟とか、プクラスとC141号(一応、親子関係と呼べる?)

の関係とかも、考察してみたら面白そうですが、詳細部分を忘れてしまいました。

ver4.0は、ドラマが多いので、その辺を紐解いてみると面白いかもしれません。

 

ver1の話は、昔すぎて忘れちゃいました。ごめんね。

でも、ドルワーム編のドゥラ君の王子に対する態度とかは、

まさに劣等から転じた、優越コンプレックスだったと思います。

外伝クエの内容が、勇気づけ・・・と、いうには悲しすぎるが、

3枚目キャラを演じられるような、寛容さや、ある種の共同体感覚を

身に着ける下地となったのかな、と。

 

ダストンが理解不能な変人キャラであることや、

マデサゴーラの理解に苦しむ、独特の価値観は、

キャラとしての魅力はさておき、

リアリティを感じられない理由の一つとして、

型を破りまくっている、常識とかけ離れた思考回路だからだと、僕は思っています。

 

※追記

あとになって思い出したけど、トビアスっていう

この上ない逸材を忘れておりました・・・。

対象は、解放者である主人公という存在や、

自分より優秀なエステラにも、向けられていましたが。

数々の試練や課題?を乗り越えて、リーダーとしての器を手に入れる過程は、

大分、語弊があるかもしれませんが、アドラー心理学でいう

教育の役目を果たしており、まさに勇気づけのプロセスですね。

元々、部下(名前忘れたけど3人組)には好かれていたので、

適性を伸ばしていったとも言えます。

 

あとがき:

次回の読書感想文では、

ドラゴンクエスト名言集 しんでしまうとはなにごとだ!」

という本について紹介したいと思います。

僕の読解力では、たかが知れているかもしれないが、

こんな記事よりは、幾分、面白いものを書けるかと思います。

本の内容自体はめちゃくちゃ面白いです。