文学としてのドラゴンクスト 日本とドラクエの30年史
2016年12月16日
コア新書
著者:さやわか
サブカルチャーに詳しい作家みたいです。
まず、序章として、
ドラクエのヒットに対して、他のコンテンツ(小説など)程、話題にはされない。
それは、ゲームというものが、軽視されているからなのか?
そんな、疑問の提起から始まります。
確かに、日本人の感性に合った、ファンタジー世界というものを
築いた影響は大きい。
しかし、海外では、ゼルダの伝説や、ファイナルファンタジーに比べ、
売上本数が少なく、海外展開も消極的だ。
(実際、DQ10も中国版のみ)
第一章・第二章は、
堀井雄二がゲームデザイナーに至るまでの経緯。そしてドラクエの誕生まで。
少年ジャンプ編集部の鳥嶋和彦との出会いや、エニックス主催のプログラムコンテンストを通じて、人脈を広げた。
ラブマッチテニス、ポートピア連続殺人事件の後、
行く着いた先は、非日常を体験、ロープレイできる作品。
ドラゴンクエストが生まれた。
漫画的な楽しさも取り入れたいから、鳥山明を起用した。
ドラクエシリーズは、プレイヤーがいかにロールプレイを楽しめるかという点を、
堀井の視点から改良を重ねていった。
第三章は、
同時期にヒットした村上春樹の作品と、ドラクエ(堀井雄二)の共通点。
以後も、比較対象として、ちょくちょく出てきますが、
僕は、読んだことないので、詳しくは書きません。というか書けません。
どちらも非日常を舞台としており、その当時の情勢などともマッチし、
日本人の感性に訴えかけるものがあった。
第四章は、
各作品の概要や特徴について、詳しく書かれており、
その時代背景の考察もされている。
映画や文学と比較すれば、スペックや表現方法の不足しているが、
プレイヤーの参加という、他の観点で差別化ができている。
第五章は、
次世代作のドラクエ7と8について。
技術の進歩による、ビジュアルの変化(3D化)は、
プレイヤーのフィーリングにも、大きな変化をもたらした。
鬱展開だらけなドラクエ7の異質さ。
プレイヤーとゲーム主人公の距離感によって生じる、
FFとは違った形の悲劇性。
オーソドックスで王道展開ドラクエ8の裏に潜むジレンマ。
ストーリー性と自由さを両立できたのか?
第六章は、
堀井雄二が兼ねてより関心のあった、
オンライン要素を取り入れた、ドラクエ9と10について。
挫折を経験しつつも、新たな境地を切り開き、
最大のヒット作となったドラクエ9。
ドラクエの大事な部分をおさえつつも、
オンラインゲームという点で、賛否が分かれたドラクエ10。
実際、レベ上げひとつを取っても、ネトゲ慣れした方と、
初プレイの方では、温度差が感じられました。
終章は、
「かのように」錯覚させる、というワードを使って、
疑似体験できる点の重要性について、再度、語られていました。
ドラクエシリーズの戸口を広げ、より認知されていく上で、
・ドラクエらしさを堅守する
・時代に沿った新しい技術や価値観で進化し続ける
といった旨のことで締めくくられていました。
感想:
まず、僕は村上春樹氏の作品について詳しくないので、
その辺を含めた意見や感想は書けないです。
ストーリーやキャラの考察がメインな内容だったら、
もっと、分かりやすかったんだけどなー。
アマゾンや読書メーカーのレビューに書かれているように、
堀井さんや村上春樹氏、その他関係者への取材等がないから、
決め手に欠けるなぁって感じる部分はありました。
簡単にアポを取れるような方々じゃないんだろうけど。
僕は、いちドラクエファン、あるいはゲーマーと言う狭い範囲でしか、
ドラクエシリーズを見ていなかったので、
よく分からないながらも斬新でした。
色んな切り口から、ドラクエを語る本があれば、
とても面白いかなぁと感じました。
前にどっかで見た、淡路恵子のインタビューとか面白かったんで。
ドラクエは、ゲームである以上、
戦闘、音楽、操作性、システム、その他ファクターが多く、
ストーリーや設定のウェイトが違いすぎて、
結局、文学と単純比較するのは難しいですね。求める要素も違いすぎるしね。
(著者も概ね、そんな意見のように感じられました。)
敵が強すぎたり、システムを複雑にしすぎたら、
没入感を損なわれるわけだし。
ドラクエは、その辺がしっかりしているからこそ、
冒頭でもあったように、”ゲームとして”確固たる地位を
築けているのかなぁと。
それらをひっくるめて、時代に合わせた進化をしていくこと、
僕も大事だと思ったし、これからも、そうあって欲しいと願っています。
あとがき:
レグに勝てん。
怒り時のダイブに2回くらいやられました。
やらかしだらけです。ほんと申し訳ない。
バラシュナはⅠでも大苦戦。
スランプなのか?